日本航空(JAL)の特徴・企業研究レポート

目次

  • 日本航空(JAL)の特徴
  • 主な事業
  • これまで事業の歩み
  • 日本航空(JAL)出身の著名人
  • 今後の経営戦略
  • 日本航空(JAL)や、出身者による著書

日本航空(JAL)の特徴

日本における2大航空会社の一つであるJAL。国際線シェアではトップ、国内線ではANAについで2位の規模を誇ります。

2000年代のアメリカ同時多発テロや、JASとの統合失敗をはじめとした無理な拡大戦略が重なり、なんと2010年に経営破綻。

その後は、稲盛和夫氏による経営立て直しと公的資金の投入によりV字回復を遂げ、現在は利益率重視の堅実経営路線を進めています。LCCであるジェットスター・ジャパンを傘下に持つことはあまり知られていません。

主な事業

JALは、ANAとは異なり、主な事業は「航空運送事業」のみです。その内訳は以下の通りで、国内線と国際線がおよそ1:1の売上割合となっています。

日本航空(JAL)の事業別売上高構成図

その他には、ジャルパックを通じた航空座席の販売ビジネスや、JALカード事業が含まれます。

これまで事業の歩み

日本航空(旧会社)が資本金1億円で設立、国内線定期航空輸送事業を開始したのが1951年。これがJALの始まりです。その後、日本航空株式会社法(1953年に制定)の定めるところにより、20億円の資本金を元に半官半民の事業として日本航空株式会社が設立されます。

当時は、日本で唯一の国際線定期航空運送事業の免許会社で、1954年より東京~ホノルル~サンフランシスコ線を開設。日本初の国際線をスタートさせます。その後もニューヨーク線、世界一周路線など順調に事業を進めると同時に、日本航空整備株式会社、日東航空株式会社、富士航空株式会社、北日本航空株式会社、東亜航空株式会社などを次々と合併し、拡大していきます。1970年には東証一部上場を果たしました。

1983年には、国際航空運送協会(IATA)統計で旅客・貨物輸送実績が世界一に。この後、5年連続で世界トップを維持し続けました。実績が好調なことから、政府は株式を売却し、1987年に完全民営化へと移行します。

2002年に日本エアシステム(JAS)と経営統合(2006年に合併)、2004年日本アジア航空を完全子会社化(2008年合併)。2007年にはグローバルアライアンス航空連合のである「ワンワールド」に加盟します。

しかし、JASとの統合失敗をはじめとした無理な拡大戦略が重なり、2010年に会社更生法の適用を申請し、事実上の破綻に陥ります。これに伴い上場も廃止され、社長をはじめ取締役は全員即日辞任。危機に陥ったJALですが、京セラの創業者である稲盛和夫氏を会長に招き、企業再生支援機構の支援と計3500億円もの手厚い公的資金を使って再建に成功、V字回復に至りました。

2011年3月には会社更生手続きが終了し、2012年に再度東証一部上場します。

2011年8月、カンタス航空グループと三菱商事との合同出資でジェットスター・ジャパンを設立し、LCC事業に参入。さらに2011年にアメリカン航空、2012年ブリティッシュ・エアウェイズ、2014年フィンエアーと共同事業を開始しました。

日本航空(JAL)出身の著名人には、以下の様な人物がいます。

若田光一
宇宙飛行士
内田和成
BCG日本代表、早稲田MBA教授
深田祐介
直木賞作家

今後の経営戦略

経営破綻以来、JALフィロソフィの浸透徹底と、部門別採算性を重視した経営が進められています。社員1人1人が「売上最大・経費最小」を意識した組織運営への体制変更が進みつつある状態です。

規模のみを追わず、収益性と安定性を重視した方針で、営業利益率10%以上・自己資本比率50%以上が当面の目標です。ANAと比べると、「守り」の戦略と言えるかもしれません。

日本航空(JAL)や、出身者による著書