藤原社長の学生時代についての話を聞かせてください。
海外旅行と読書が趣味で、
お金が貯まれば海外で放浪、暇があれば読書という学生生活でした。学生の頃は時間だけはありましたので、年間で500冊くらい読んでいました。
小説では三島由紀夫やドストエフスキーが、ビジネス書だとミンツバーグが好きでした。その他、見聞を拡げることを目的として、インターンシップの一環として、
ETIC.(NPO法人)のプロジェクトに参加したりしていました。当時はアントレプレナー(起業家)ブームの真っ只中で、学生視座から、ITバブルの先駆けだった企業の実態調査を行うことを目的としていました。
学生の頃は「プロジェクト」などという言葉に心躍らされ易いものですから、報告書作成など膨大な量で大変な思いもしましたが、本当に楽しかったですね。「僕、プロジェクトやっている」みたいな(笑)
また、プロジェクトの過程で、様々な経営者の方にインタビューをする機会があったのですが、そうした経営者の実態調査とか、新興企業の人事制度や人材育成が学生時代の大きなテーマとなり、卒業論文でも、同じテーマを深く掘り下げる形で作成したものでした。
インターンを始めた具体的な動機があれば教えてください。
当時は日経平均株価が1万円を切るような時代で、日本の大企業ももう終わり…というような風潮が学生の間にはありました。そのため、新興ベンチャーに対する学生の関心も非常に高かったわけです。
僕もそうでしたが、
幾つもの大企業の内定を蹴ってベンチャー企業に就職する学生も少なくありませんでした。当時は実感なかったのですが、ベンチャー企業でインターンをする学生が多くなったのもこの頃だったようです。
今の学生は、インターンを近未来の就職活動のための準備として行う人が多いかもしれませんが、当時は、将来の自分の起業を念頭においたインターンが中心だったのではないでしょうか。
その当時から経営者になりたいと思っていたのですか?
そうですね、関心はありました。と言いましても、学生の頃は、
「仲間と熱いことがやりたい」という非常に漠然でかつ緩いものでした。
しかしながら、経営者となるには、自分のビジネスモデル、そして財務知識、法務知識を兼ね備えた知見が必要で、そんなに単純なものではないと教えられ、考えを改めました。個人事業主にはなれるかもしれませんが、事業体として継続的に収益を上げていくためには、想いだけでは為しえません。そのためには、まずは社会に出て見聞を拡げて、継続的な研鑽が不可欠であると決意しました。その示唆を下さったのが、ランドスケイプの創業社長の福富で、教えを請うようにしてランドスケイプに入社を決めました。
ランドスケイプに入社されてからの仕事内容やエピソードを教えてください。
はじめは企画営業部に配属されました。ランドスケイプのデータベースを基に様々なセールスプロモーションを提案していく仕事です。
お客様とのやりとりの中でニーズを汲み取って、新しいサービスを自らが主体的に組み立てていくような働き方が必要でした。
大企業と違い、既存のビジネスモデルが確立しているわけではなく、日々自分たちで市場性を考慮してビジネスモデルを変えていかなければなりません。会社のブランドだけで売ることは難しいため、まずお客様に「自分自身」に関心を持って頂くという意味で、個々人のヒューマンスキルが必要でした。言うは易し行うは難し、自分自身が会社の代表として価値をアピールしていくのは本当に難しいと、何度も臍を噬む思いをしたものです。
私自身、コツをつかむまで試行錯誤して1年くらいかかりました。そうした苦労を経て、徐々に自分の売上のストックもできましたし、自分が過去に作った企画提案が組織のナレッジとして採用されるようになり、営業の仕事がすごく面白く感じるようになりました。
その後、新しく会社を設立されたそうですが、その新規事業の設立においてトップを任された時の経緯や心境をお聞かせください。
ランドスケイプ内で大きな組織変更が起きたときに、自分のキャリアを再考する良い機会だと思いました。そして、コンサルタントとしてステップアップしたいと決意し、コンサルティングファームに転職しようと考えていたのです。
それを弊社の代表の福富に話した時、「おまえは、起業もしたいしコンサルタントにもなりたいと思っていて欲張りなことを言うが、ひとつだけ同時に満たす方法がある。
コンサルティング会社を設立して経営者になれば良いじゃないか。」と言われて、発想の違いに驚きました。創業社長として様々な局面を経験してきた福富の言葉には含蓄があり、また指導頂く内容も明確でした。それで迷うことなく「お願いします、ご指導下さい」と、子会社の創業に踏み切りました。
ランドスケイプのグループ会社としての独立だったので、ランドスケイプのお客様をいくつかコンサルティング案件として引き継がせて頂きました。しかし、今までの営業活動主体の動き方とは別に、コンサルタントとしていかに高付加価値あるアウトプットを提供していくのか、そして、組織としてソリューション化していけるのかについて試行錯誤が続きました。一言で言えば、私自身の圧倒的なスキル不足が原因でした。
それからは、孤独な「勉強」の日々が始まりました。もう、その頃の再現は無理です(笑)