これまでの経歴やキャリアの経緯を教えてください。
大学時代からお話すると、学生のときはテニスに打ち込んでいました。就職活動は、当時オイルショックの影響で、景気が悪く、今と同じような就職難でした。
私は工学部だったのですが、エンジニアには興味がなく、海外志向が強かったこともあり、当時東証一部上場の名門だった新潟鉄工に入りました。同期入社にも東大の連中もいっぱいいましたが、そこまで大きな会社ではなかったので、社長の座も狙えるかもしれないと意気込んでいましたね。
最初の配属は、基本設計部門でした。最初はプラントの設計をやっていましたが、国際営業に異動し、イラクの駐在員やマレーシアでプロジェクトマネジメントを手がけたりしました。
マレーシアでは、業界最年少のプロジェクトマネージャーにもなれました。しかし、突如円高になり、プラント輸出自体が先行きが怪しい状態になってしまったのです。
当初は全く転職など考えていなかったのですが、自分の部署も縮小し、社長になるための出世コースも閉ざされてしまった気がして、初めて転職を考え始めたわけです。
その後、コンサルティング業界に身を転じるきっかけは何でしたか?
その当時ヘッドハンターから声がかかったのがきっかけの1つでした。年功序列ではない外資の働き方に興味をもっていたこともあり、組織・人事分野に特化したコンサルティングファームであったヘイコンサルティンググループに転職することに決めました。
当時のコンサルティング業界は、大手金融機関などいわゆるエスタブリッシュメントと呼ばれる企業だけが、一般に知名度がまだ高くなかったコンサルティング会社に高い報酬を払って、仕事を依頼していた程度でした。マッキンゼーもボストンコンサルティンググループもまだ日本では無名な時代でしたから。
今となってはコンサルティング業界も、当たり前に高学歴の学生が志望する先の業界となっているようですが、当時のコンサルティング業界は、日本に市場があるのかどうかすらよくわからない状況でしたから、自分たちがコンサルティングビジネスの市場を作るのだという気概のある猛者がたくさんいました。今は、どちらかというと高学歴の優等生が手堅い就職先として見るようになっているという意味で、公務員とあまり大差がなくなったのではないかと感じます。
その後、小売・流通業に関連する世界へとキャリアの軸足を移された経緯を教えてください。
組織・人事関連のコンサルティングの分野は、良くも悪くも手法や方法論がはっきりと確立された分野でした。そのため10年も同じことをやっていると、全く新しい分野にもチャレンジしたいと思うようになったわけです。そんな折に、ハーバード時代の友人から消費財・流通業界に特化した戦略コンサルティング会社であるカート・サーモン・アソシエイツ(KSA)が日本に来るという話を聞きました。それまでは、イオンやイトーヨーカドーや、アパレルのルイ・ヴィトンなどの小売・流通の会社がコンサルティングサービスを使うことなど考えられませんでしたが、私個人としては、これは伸びるビジネスだという確信がありました。
当時、国内外で同じものを買う場合、日本の方が海外より高い状態にあり、つまり、日本では流通コストが相当に問題がある状況でした。そこに改善の余地があり、コンサルティングのチャンスがあると考えたのです。
ハーバード時代の知人を介して自らKSAの日本法人立ち上げを志願しました。日本で立ち上げる前に、アメリカのオフィスで1年間修行できました。駐在員としてではなく、グローバルファームの経営メンバーの一人として本場アメリカのコンサルティングビジネスの現場を体験できたことは非常に刺激的な経験になりました。
翌年、ジェリー・ブラック(現在、イオン初の外国人役員)とともにKSA日本オフィスを立ち上げました。その後、流通・消費財メーカーに対してマーケティングサービスを提供するカタリナマーケティングジャパンの社長に就任して事業会社の経営者になりました。社長就任後3年の間に、売上を倍増させるなど事業を拡大し、充実した日々を送っています。
カタリナマーケティングジャパン株式会社
事業内容:日本全国のGMS/SMの店頭において、POS連動の店頭メディア『レジ・クーポン』を活用したターゲット・マーケティング戦略の企画・立案・実施・効果検証。
所在地:〒105-0001 東京都港区虎ノ門二丁目2番1号 JTビル15階
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