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リクルート出身起業家が語る自分の想いに生きる異端児のすすめ 株式会社リンクプレイス 代表取締役社長 佐藤浩也
当時リクルートに入ると言ったら周囲からは大反対された

理不尽な常識よりも、自分が納得できる「解せる」状態を目指す

私が就職活動をした当時はバブル絶頂期であったため、就職には困りませんでした。建築学科からは、大手建設会社に毎年何名かずつ入社するのが常識でした。一社に人気が集中した場合、ジャンケンで決める文化も存在しており、東工大の建築学科の学生なら誰でも良いのか、と思わせるその環境に強い違和感を覚えました。

そもそも、サラリーマンになること自体に何となく嫌悪感を抱いていました。そんな時、たまたま出会ったリクルートの人たちは、私が持つサラリーマンのイメージとは違った印象でした。この人たちと仕事ができれば、自分の世界が広がって大きく成長できるかもしれない、と感じたのです。とはいえ、当時のリクルートは今ほど知名度がなかったので、周囲からは大反対され、説得するのは大変でした。諦めに近い周囲の理解が得られた頃に、リクルート事件が発覚するという巡り合わせ。ただ、自分があえて選択したそのポイントには揺るぎない確信があったので、内定辞退は考えませんでした。私の学生時代は設計課題を中心とした生活でしたが、一旦は建築の道を離れる決断をしたことがより卒業制作への意気込みに繋がり、上位5名しかもらえない優秀賞を獲得することで有終の美を飾ることができました。

あえて有名大手企業ではない選択をしたことで得られたもの

バブル当時に有名大手企業ではなく、当時は多くの人にとってよく分からない存在であったリクルートに就職することは、もしかしたら今の学生がベンチャー企業を就職先に選ぶことよりも怖い決断だったかもしれません。なにせ当時は、銀行の名前が変わるとか、自動車メーカーが経営に窮するとか、その後起こった現実が想像しえなかった時代です。大企業は大企業としてずっとそのまま産業界の頂点に君臨し続けるだろうという大前提がありました。当時は、大手企業に所属すれば安泰という感覚が強く存在していたので、あえて大手企業ではない選択肢を選ぶことは今よりもハードルが高い時代でした。そんな中だからこそ、当時のリクルートには、自身のエネルギーを信じ、常識の枠に囚われたくない変わり者が、こぞって集まってきていたように思います。私がリクルートにいた5年間は、リクルート事件、バブル崩壊、ダイエー傘下入りなど、リクルートの歴史の中でも激動の時期でした。変化が激しかった分、若くしてたくさんの経験を積めたと思います。試行錯誤しながらも常に目標に向かって前進する、そんな力を身につけられた環境でした。目標までの道が用意されていないぬかるみでも、立ち止まらずに常に足を前に出し続ければ、足をとられることなく前進できる。当時のリクルートで育った人達に共通するのは、「ぬかるみの中での前進力」だと思っています。

株式会社リンクプレイス

事業内容:モチベーションエンジニアリングを用いた様々な「場」の構築とその運営支援
所在地:〒104-0061 東京都中央区銀座3-7-3 銀座オーミビル

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