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途上国の未来を切り開くビジネス現場で答えを探し続ける女性起業家の奮闘記

May, 08, 2012

株式会社マザーハウス

山口 絵理子 氏

学生時代は、どのような意識をもって生きていましたか?

みんなについていくのが必死でした。社会に対する意識や教育への問題意識もありましたが、周りがすごい人たちばかりだったので、とにかく他の人についていけるように必死にがんばりました。高校時代まで柔道一色の生活だったので、学問の世界は別世界でしたし、純粋におもしろいと感じていました。

大学時代に最も力を入れたことは?

自分のやりたいこと、使命を探すことでしょうか。インターンをしたり、哲学書を読んだりしましたが、結局は、自分のやりたいことを探すためでした。特に、慶應のSFCは、やりたいことがわからないまま卒業する人が多く、いい意味ではいろんなことができるが、悪い意味ではすべてが中途半端で卒業してしまう学部だと思います。わからないからとりあえず大企業だ、と決めてしまう人が本当にたくさんいました。私の中では、「在学中に自分の進むべき道」をきちんと決めるというのが、一番の課題だと考えていたので、そのために、たくさんの授業をとったし、先輩のまねではなくて、何で生きるのか?ということまで考えぬいて、自分の指針となるものを探しました。その先に見えてきたものが、途上国への想いであり、そこで自分のフィールドを作ろうと決意しました。

ワシントンD.C.の国際機関でのインターンで、逆に途上国との距離を感じたと聞きました。

開発学のゼミや、開発コンサルタントのアルバイトなどでその分野での経験は多少あったのですが、一番上から見えるものもあるかと思い、国際機関に応募しました。結果から言うと、上から見えないもののほうが多かったというのが、一番の感想です。私がインターンとして働いた国際機関では、実際に途上国に行ったことがあるスタッフはいませんでした。途上国の声を代弁するために働いている人には出会えませんでした。途上国支援のために本当に必要なのは何かという自分の問題意識を解消できませんでした。現実は、数字・学歴・出身国など政治で決まる世界で、出世するのは、ごく一部のエリートでした。自分も修士号・博士号をとって、同志がいない中、何十年かけて出世をしても、その先に何があるのだろうと思ってしまったのです。そこで、現場の方が見えることが多いはずだと思い、「アジア最貧国 バングラデシュ」に行きました。その後現地の大学院に入学し、死に物狂いで、マザーハウスの設立に至ります。

「マザーハウス」を起業してからの苦労は何でしたか?

創業1年目、2年目はつらかったです。つらさの種類が違うのですが、今は、アルバイト含め30名近くになり、ようやくチームになってきたという感じです。それまでは、なんとしてでも、軌道にのせないといけないという感覚で手段はなんであれ、モノを売るんだ!なんでもやってやる!という気持ちでした。自分の体力なんてどうでもよかったですし、資金もほとんどありませんでした。

NGOの人からはバングラデシュを使って金儲けしているのではないか?と言われ、若造にはできないとか、反対の声ばかりでした。社長さんが集まるパーティに参加しても馬鹿にされました。そんな中で、信念を貫き続けて、百貨店を一軒一軒自分の足で回り続けました。その頃は、泣きながら帰るなんて、当たり前でしたね。そんな中、バッグを買ってくれるお客様の重みが心に本当に染みました。これがビジネスなんだな、遊びでやっているんじゃないんだと。当時はコーラでお腹がいっぱい、なんてこともありましたし。その時の1年間は何十年たっても、一生の財産になると思います。

バングラデシュにおいては、職をつくること自体が社会貢献

途上国に対する想いという部分で、社会的意義とビジネスとの共存について葛藤はありましたか?

生産サイドでは、葛藤はありません。バングラデシュという途上国においては、職をつくること自体が社会貢献になりますから。むしろ販売サイドで葛藤があります。社会問題という切り口で販売をした方がやりやすいですが、それではお客様満足やビジネス拡大につながっていないということに気がつきました。もっと商品を全面に出していかなくてはならなくて、決して同情で買ってもらうのではなく、モノとして買ってもらうことが本質だと思います。そのバランス感覚に気づくまで半年から1年かかりました。

挑戦した先に、たとえアルバイト生活が待っていても、それは恥ずかしくない

キャリア選択における、学生へのアドバイスをお願いします。

いろんなことに我慢しないで、もっと自分に素直に生きるべきです。結果、その人個人のポテンシャルを伸ばすことになると思います。やりたいことがあるんだけど、自分はできないんじゃないか?とか、この学校を出たから、こっちの方が良いんじゃないか?という固定観念に縛られすぎて、自分の声を殺して生きているのではないでしょうか。同年代をみても、もっとこの人ならできるのにもったいないなと思える人が多すぎますし、もっと素直に生きたほうが良いと思います。例えば、ない道を歩くことは、不安だと思います。私は、バングラデシュで泥水を飲んで生活している人たちなど、人間のボトムの生活水準を見てきました。日本では、東大・早慶の学生だったらなおさら、失敗してもそのようなボトムの生活になることはないので、そういう人たちを見ると、いったい何を失うんだい?何が怖いんだい?という風に思ってしまいます。挑戦した先に、たとえアルバイト生活が待っていても、それは恥ずかしくないし、また挑戦できるというだけのことですから。

株式会社マザーハウス

Interviewee

山口 絵理子 氏

やまぐち・えりこ

株式会社マザーハウス

代表兼デザイナー

1981年埼玉県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程修了。ワシントン国際機関でのインターンを通じ、途上国に対する支援のあり方に疑問を持ち、たった一人で「アジア最貧国 バングラデシュ」に渡る。その後、ジュート(麻)を使った高品質でデザイン性の高いバッグを生産する「株式会社マザーハウス」を設立。その商品力と、バングラデシュにおける雇用機会創出という理念を持ったマザーハウスは、多くの学生・社会人に支持されている。「フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト2006」最優秀賞受賞。