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中村 敬彦 株式会社メディカル・プリンシプル社 社会貢献とビジネスを両立させる「民間医局®」元金融マンが挑む医療変革

中村 敬彦 株式会社メディカル・プリンシプル社
OBOGプロフィール
1941年生まれ。東京都出身。早稲田大学第一政治経済学部政経学科卒業。1964年株式会社日本長期信用銀行入行。1991年第一証券株式会社取締役就任。1993年同社常務取締役就任。2000年株式会社メディカル・プリンシプル社代表取締役社長就任。

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当時、一流の都立高校を蹴って、あえて早稲田大学高等学院に進学されたそうですね。


まだ15歳でしたが、早稲田のDNAである在野精神に本能的に共感したのが理由です。親や中学校の先生には、都立に行けと言われましたが、反対を押し切って、早稲田に決めました。大学に進学してからは、早稲田大学グリークラブ(男声合唱団)で毎日コーラスに熱中していました。


中村 敬彦 株式会社メディカル・プリンシプル社 社会貢献とビジネスを両立させる「民間医局®」元金融マンが挑む医療変革


その後、日本長期信用銀行(以下、長銀)に入行されています。なぜ長銀を選んだのですか?


大きい組織は性に合わなかったからです。その後、拡大発展を続けた銀行ですが、当時はまだ小さな組織で、民営化して間もない時期、行員番号もまだ706番でした。大きな組織よりも柔軟で小回りの利く組織の方が、自己実現ができると考えていたため、国や政府の息がかかった日本興業銀行はもちろん、都市銀行や保険会社なんて論外。自分の主張が通りやすそうな、やわらかい組織で、国の方針・経済の舵取りに関わりたいと考え、その理想に一番近かった長銀にしました。結果、大正解でした。人手が足りていなかったので、同世代の人たちよりも1ランクも2ランクも上の仕事が早くからできました。また当時は、高度経済成長の真っ只中で、銀行がどこに資金を供給するかで日本の産業構造を大きく変えていく可能性があり、仕事に大きな醍醐味がありました。その後、結果的には、長銀は経営破綻してしまうわけですが、バブル崩壊後の日本の金融構造の歪みを解消するために姿を消さざるを得なかった部分があります。今の金融恐慌は実は、90年代の日本の金融危機が前兆で、今のような金融システムでは、社会にとって有害でしかないという証左です。


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株式会社メディカル・プリンシプル社

メディカル・ドクターエージェント業
所在地:〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷3-59-4 クエストコート原宿


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