学生生活はどう過ごされましたか?
当時は、学生闘争の時代で、自分も巻き込まれて、世の中を良くしたいと考えて活動していました。一方で、広告研究会に参加して、まじめに広告も勉強していました。早稲田は青臭い理論が好きな人が多くて、広告研究会の活動も、CMを実際に制作する実作中心から理論研究へとシフトしていたころでした。青臭く理論研究に明け暮れていました。2年連続で電通の学生賞を取るぐらい本格的に取り組んでいました。
当時、何か目標のようなものはあったのですか?
目標なんて特に何もなかったですよ。自分には選択肢はないと思っていました。広告代理店に行きたいと思ったことはあったし、実際にお誘いもいただいたけれど、父親から会社が厳しいから手伝ってくれと言われたので、仕方ないと思っていました。大学まで行かせてもらった恩もありましたし、父親の会社を手伝う義務感を感じて、卒業後、父親の会社に入社しました。父親の会社は、大手メーカーの半導体の特約代理店でした。特に興味のあった分野ではなかったですが、大企業ではなかった分、営業から総務や経理まですべてをひと通り経験できました。今でも役に立っている経験です。
そこで気づいたことは何ですか?
このまま国内だけでやっていても限界があるということです。大手メーカーの販売代理店として3本の指に入る会社だったので、ビジネスは好調だったのですが、半導体ビジネスのチャンスを思うように捉えられずにいた部分もありました。そこで、新しいことに取り組む必要を感じていました。新規商品や新規拠点を広げていくべきだと思ったので、海外製品を取り扱うとか、半導体以外のものも取り組みました。
1985年のプラザ合意で円高に振れて以来、メーカーがどんどん海外に出て行ったのですが、自分たちは、メーカーの国内販売のための特約店だったので、海外に出られず将来性がないと感じたのです。
それが起業にいたるきっかけになるわけですね?
ええ。会社は順調で儲かって、3年間で売上も倍にしました。でも、海外に出ることができないため、将来的な危機感が強まったのです。
後輩たちのために、将来本当に伸びるために海外へ出て行く必要があるのに出られない悔しさです。ちょうどそのころ、携帯電話の販売権を運良く入手しました。携帯電話が広く普及し始める時期で、最大のチャンスだと思いました。しかし、父親からは反対されたのです。考えてみれば、携帯電話もインフラにすぎないので、いずれ普及して国内で飽和します。そこで、インフラが普及した後に、その上で何かを配信した方が良いだろうと思いました。
配信コンテンツは音楽が良いと思ったので、国内のレコード会社に交渉しに行ったのですが、わざわざネットで楽曲を売る動機は彼らにはまだなかったので、結局、洋楽からスタートすることになりました。父親と経営方針が合わず困っていたこともあり、独立して起業することにしました。今では当たり前になった携帯向けの音楽配信コンテンツも当社がはじめて手をつけました。
アミュー株式会社
事業内容:音楽/エンターテイメントを中心としたコンテンツ配信事業
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