
東京大学ではどのような学生生活でしたか?
まあひと言で言うなら、ひどい学生でしたよ。
二年生までは駒場キャンパスに通っていましたが毎晩渋谷で飲んで、そのまま駒場寮(注:98年に閉鎖)に転がり込んで寝ていました。それから、本郷に移ってから自主留年したので三年間いました。その間に出席した授業は2コマくらいだったかな(笑)。あとはゼミを2つくらいとった程度で学校には授業にほとんど出ていないですよ。
そんなどうしようもない大学生活だったけど、いい友人はたくさん出来ましたね。授業には出ませんでしたが、友達に会うために大学に行っていました。今でも年に一回、駒場の時のクラスの同窓会をしますが毎回30人以上出席しますよ。
大学時代は、どちらかというと社会勉強ばかりしていましたよ。
大学卒業後、外資系証券会社のソロモン・ブラザーズ・アジア証券に入社されておりますが、当時の東京大学の法学部だと官庁や法曹にいく学生が多かった中、なぜ外資企業を選ばれたのですか?
よく、「当時外資系企業を選ぶなんてリスクをとられましたね」と言われたりしますが、私としては「リスクを回避する」ために選んだのが外資系企業でした。銀行、商社、官庁などに行ったりすると上司に恵まれなかったり、コネクションがなかったら出世できなかったりするのではないかと思ったのです。自分の才能や努力ではコントロールできないリスクを一番避けたいと思いました。それに対して、外資系は実力主義でしたから、自分自身の実力で憂き目にあうなら、それは仕方がないと思えるのではと考えたのです。
そういったリスク感覚や実力主義への志向性はどこで身についたのでしょうか?
まず父親がそういった考えを強く持っていましたね。父から、批判精神を強く持ち、常に自分で考えて行動するように教育されました。
また、21歳のときに初めて海外に行きました。そのとき、一緒に行った友人のお母さんが私にただで航空券をくれました。友人の家は会社経営をしていて相当な資産家でした。今考えると航空券はたいした金額ではないのですが、それが大きな衝撃だったのです。
そもそも、それまでは、自分にはコネも資産もないから、あまり大それたことは考えずに「社会の中のある程度上質な歯車になれれば十分」と考えていました。父親よりも少しだけ優秀なサラリーマンになれれば良いと思っていました。それぐらいしか自分にはできないと勝手に思っていたのです。
でも、そのとき「コネやお金は自分が持つ必要はなく、自分が持っている得意分野の能力を伸ばして価値を提供することで、お金、コネは他の人が提供してくれるのだ」ということに気づいたのです。
これは私の人生において、とても重大な発想の転換でしたね。だから、官庁や大企業に魅力を感じなかったのです。コネや上司との相性といった実力とは関係ないところで勝負が決まる環境よりも、もっと自分の実力で勝負できる世界に行きたいと思ったのです。
今では、外資金融というと、特に高学歴の学生に人気になっています。仮に今もう一度、学生に戻ったとしたら、どんな就職先を選びますか?
まず、外資金融なんて絶対行かないでしょう。今時、率直にダサいですよ。私が就職をしたのは20年も前の話ですから。外資金融は一番の伸び時はもう終わっています。外資金融は、私が働いていたちょうど20年前~10年前に伸び盛りでいろいろ勉強できた業界だったのです。その後の10年間は慣性で伸びているだけです。成功して盛り上がった後に相乗りしようなんて考えは、時代遅れだし、ダサいですよね。
ちなみに、私が東大にいるときに非常に残念に思ったのは、みんな小市民的発想だったことです。東大法学部なんていったら、「自分が日本をこう変えるのだ」とか本気で言えるような鼻持ちならない人間が多いのかと思っていたのですが、実際には、「どこに就職するべきか?」なんてつまらない話ばかりしていて、がっかりしました。
単純に今まで良かったからこれからも良いのではないかという程度の発想でキャリアを選ぶことは、自分の人生にとって非常に無責任なことだと思います。もっとしっかり自分の頭で考えた方が良いですよ。
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