新卒でリコーに就職された経緯を教えてください。
大学の専攻で将来性を感じた3次元グラフィックを扱える会社を軸に、就職活動をしました。周囲では財閥系などエスタブリッシュメントの研究所を志望している人が多かったのですが、リコーは研究所を立ち上げたばかり。リコー本体も今ほどの規模ではなく、まだまだ組織はできあがっていなかったのですが、その分「自由にできるのでは」と思い、入社を決めました。
リコーでのお仕事はいかがでしたか?
半年間の新人研修を経た後、ソフトウェア研究所に入りました。
当時のメンバーは8名以下。社内ベンチャー的に、なんでも自由にやらせてもらいました。後の創業パートナーの千代倉(現取締役)とはそこで出会いました。
学会での論文発表を含め3次元の研究を進める中で、CAD/CAMのコアを作ることに専念していくことになり、「DESIGNBASE」というソフトウェアを開発しました。当時、リコー本体の営業はコピー機を売るのが本職なので、ソフトウェアを販売するのは、私たち研究所メンバーが主体でしました。国内での販売は順調で、製品化後1年半ほどで、日本での標準的なソフトになりました。その後もバージョンアップを重ね、『世界制覇Ver.』を開発し、自信を持ってアメリカへ進出したのですが、創業間もないベンチャーに展示会で苦戦してしまいました。製品がない状態で、「コンセプト」だけでお客様の心を掴んでしまうアメリカのベンチャー企業の力は衝撃的でした。彼らに勝たなければ、日本のソフトウェア産業は生き残れないと痛感しました。
その後ラティス・テクノロジーを創業されるまでの経緯を教えてください。
インターネットの時代が到来し、3次元の軽量データを、インターネットを介して共有できれば、新しいビジネスになるのではと考えました。当初はリコーの社内で実現しようと考え、会社に提案しましたが、「リコーのような1兆円企業でビジネスをやるなら、100億円規模のビジネスでないとやる価値がない」と却下されました。ならば外でやろうと考え、千代倉とともに創業したのがラティス・テクノロジーです。

起業して感じた、大企業にはないベンチャーの強みは何ですか?
大企業が新規事業に進出する場合、あくまでも複数の事業分野の中の一つでしかなく、本業ではありません。一方で、ベンチャー企業は得意分野に全身全霊で取り組むため、事業への本気度が違います。リコー時代、複数の大企業とベンチャー企業が競合していましたが、現在まで残っているのは、専業で取り組んでいた企業のみ。大企業はすべて撤退しています。 ベンチャー経営者は人生を背負って勝負しています。私自身も、起業当初1億円を個人名義で借入れました。「何があっても必ず返す」という誓約書に判を押したとき、「これでサラリーマンに絶対負けない」と思いました。まさに背水の陣というわけです。
ラティス・テクノロジー株式会社
3Dデータの独自の軽量化技術「XVL」を用いた自動車、航空機、電機等の製造業および建築業向けの業務改善ソフトウェアの開発とソリューション提供
所在地:〒102-0074 東京都千代田区九段南3-8-11 飛栄九段ビル4F