学生時代は、どのような意識をもって生きていましたか?
みんなについていくのが必死でした。社会に対する意識や教育への問題意識もありましたが、周りがすごい人たちばかりだったので、とにかく他の人についていけるように必死にがんばりました。高校時代まで柔道一色の生活だったので、学問の世界は別世界でしたし、純粋におもしろいと感じていました。
大学時代に最も力を入れたことは?
自分のやりたいこと、使命を探すことでしょうか。インターンをしたり、哲学書を読んだりしましたが、結局は、自分のやりたいことを探すためでした。特に、慶應のSFCは、やりたいことがわからないまま卒業する人が多く、いい意味ではいろんなことができるが、悪い意味ではすべてが中途半端で卒業してしまう学部だと思います。わからないからとりあえず大企業だ、と決めてしまう人が本当にたくさんいました。私の中では、「在学中に自分の進むべき道」をきちんと決めるというのが、一番の課題だと考えていたので、そのために、たくさんの授業をとったし、先輩のまねではなくて、何で生きるのか?ということまで考えぬいて、自分の指針となるものを探しました。その先に見えてきたものが、途上国への想いであり、そこで自分のフィールドを作ろうと決意しました。
ワシントンD.C.の国際機関でのインターンで、逆に途上国との距離を感じたと聞きました。
開発学のゼミや、開発コンサルタントのアルバイトなどでその分野での経験は多少あったのですが、一番上から見えるものもあるかと思い、国際機関に応募しました。
結果から言うと、上から見えないもののほうが多かったというのが、一番の感想です。
私がインターンとして働いた国際機関では、実際に途上国に行ったことがあるスタッフはいませんでした。途上国の声を代弁するために働いている人には出会えませんでした。途上国支援のために本当に必要なのは何かという自分の問題意識を解消できませんでした。現実は、数字・学歴・出身国など政治で決まる世界で、出世するのは、ごく一部のエリートでした。自分も修士号・博士号をとって、同志がいない中、何十年かけて出世をしても、その先に何があるのだろうと思ってしまったのです。そこで、現場の方が見えることが多いはずだと思い、「アジア最貧国 バングラデシュ」に行きました。その後現地の大学院に入学し、死に物狂いで、マザーハウスの設立に至ります。
「マザーハウス」を起業してからの苦労は何でしたか?
創業1年目、2年目はつらかったです。つらさの種類が違うのですが、今は、アルバイト含め30名近くになり、ようやくチームになってきたという感じです。それまでは、なんとしてでも、軌道にのせないといけないという感覚で手段はなんであれ、モノを売るんだ!なんでもやってやる!という気持ちでした。自分の体力なんてどうでもよかったですし、資金もほとんどありませんでした。
NGOの人からはバングラデシュを使って金儲けしているのではないか?と言われ、若造にはできないとか、反対の声ばかりでした。社長さんが集まるパーティに参加しても馬鹿にされました。そんな中で、信念を貫き続けて、百貨店を一軒一軒自分の足で回り続けました。その頃は、泣きながら帰るなんて、当たり前でしたね。そんな中、バッグを買ってくれるお客様の重みが心に本当に染みました。これがビジネスなんだな、遊びでやっているんじゃないんだと。当時はコーラでお腹がいっぱい、なんてこともありましたし。その時の1年間は何十年たっても、一生の財産になると思います。
株式会社マザーハウス
発展途上国におけるアパレル製品及び雑貨の企画・生産・品質指導、同商品の先進国における販売
所在地:〒110-0013 東京都台東区入谷2-22-10 内田ビル1F
入谷店(入谷駅より徒歩4分)
東京都台東区入谷1-20-10 金子ビル1階
03-3876-8433
戸越店(戸越公園駅より徒歩4分/中延駅から徒歩8分)
東京都品川区戸越6-19-12
03-6662-6772
代官山アドレス・ディセ店(代官山駅より徒歩2分)
東京都渋谷区代官山町17-6 代官山アドレス・ディセ3F
03-5458-1488
小田急新宿店(新宿駅西口出口より徒歩2分)
東京都新宿区西新宿1丁目1番3号
03-5323-5990